親が亡くなった日にインフルエンザを発症した

午前6時に電話が鳴った。

電話を受けたのは母で発信元は姉だった。

 

「病院から電話があって、お父さんがもう間もないかもしれない」

 

母親から叩き起こされ私達は病院へ向かった。

しかしこの時私と家族には危機感がなかった。

なぜなら父の危篤は今回が初めてでは無いからだ。

 

もう半年にもなるだろうか、最初の危篤の知らせを聞いたのは。

 

私の父は末期腎不全で肺気腫も患っていた。

 

最初は念の為に、後々のために人工透析のシャントを作りましょうか

そういう話だった。

 

いざ人工透析のためにシャントの手術が終わったあと、父は急変した。

 

毎日のように肺炎に見舞われ、治るたびに肺炎になる。

日に日に父の体力は失われていきました。

 

ある日医者から言われました。

「今月が山かもしれない。年を越せるかはわからない」

 

医者から宣告を受け、会いたい親戚がいるかを聞きました。

最後にまともに会話できる間に親戚と別れを済ませました。

 

年明けから日に日に父は弱っていきました。

父の生死に向き合ってきた我々家族は意外にも冷静だった。

 

「ああ、ついにこの時が来たのか」

 

そう考えるぐらい余裕があった。

 

意外にも父は耐えた。喜ばしいことではあるが、人類の生への執着心を考えた。

 

数ヶ月前に医者から言われたことを思い出す。

「痛みに対しては、ものすごい耐性を持って耐えています」

 

物言わぬ父はひたすら耐えて生きているのだろうか。

そう考えた瞬間崩れ落ちた。

 

午前6時に電話が鳴った。

電話を受けたのは母で発信元は姉だった。

 

「病院から電話があって、お父さんがもう間もないかもしれない」

 

病室に入った時

 

そこには

 

酸素呼吸器外された父がいました。